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田付景治大居士の墓石

戒 名 

 田付景治大居士
由 来 

 江戸時代初期、井上家(外記流)・稲富家(稲富流)・柘植家と並んで
徳川家康に召し抱えられた砲術師の一人、田付兵庫助源景澄の長男。

 徳川実紀には大坂冬の陣で大坂城天守閣に大砲を打ち込み、和議の機運が高まる功績を残したことが記されている。
 その功績により、景澄以降、代々鉄砲方として江戸幕府に仕える。
 脇坂安治は田付景春の妹の子とある。
 又、子孫にはとげぬき地蔵で有名な巣鴨の高岩寺にお地蔵様の
お札を納めた田付又四郎景厖がいる。
 江戸幕府より石高五百石をうけた江戸田付兵庫助家※(砲術師)
の墓石があります。寛永14年3月14日没(1637年)

現在田付家の調査をしております。
情報をお持ちの方はご連絡ください。

※田付家は代々徳川幕府に鉄砲方として仕え、田付景治の養子である田付景利以降は代々「田付四郎兵衛」を名乗る。景利以降は火付け盗賊改めの役を併任する。
  田付景澄の次男景豊は武士の身分を捨て、近江商人となり、松前藩の場所請負人として、蝦夷地の発展に貢献した。
  田付景澄の三男正景は大垣藩(現在の岐阜県大垣市周辺)に砲術を伝授。
参考:香取市アーカイブ香取遺産(Vol-043,広報かとり 平成21年11月15号掲載)

田付景治大居士